感覚と概念

『バカの壁』(新潮社)の執筆者、日本の解剖学者、東京大学名誉教授である養老孟司先生が、「薬剤師に向けて講演された内容」と、私の恩師(薬剤師)が、「養老先生の話を聴いて私たち薬剤師に伝えたいと思い書かれた文章」を以下に転記させていただいております。

 

私たちの無意識の内に感じている「感覚」や「概念」の話だけでなく、「医療とは」、「薬とは」そして、「人生とは」・・・色々なことを考えさせられます。

 

 

【感覚と概念(辞書)】
感覚:感じとること。また、感じとる心の働き。高次な認知の仕方(文化的・社会的な物事の感じ方)、不安や類推などの心の動き。

 

概念:思考において把握される、物事の「何たるか」という部分。抽象的かつ普遍的に捉えられた、そのものが示す性質。対象を総括して概括した内容。 あるいは、物事についての大まかな知識や理解。

お二方の感覚と概念

 

【養老孟司先生の感覚と概念】
人の細胞は、時間の経過とともに変化し、常に動き、その時の状況によって姿も変えていく。その細胞は1年経過すると90%が入れ替わってしまう。去年の私と今年の私は同じではない。私たちの、ものごとに対する感覚は一瞬一瞬違ってくるが、ものを見る概念は変わらない。猫には感覚はあっても、同じものだという概念はない。だから3日前のサンマ、脂肪の変化したものには口をつけない。人はどうだろう?3日経っていても、何も教えられないならば、美味しいと言って食べるだろう。家の冷蔵庫に数日寝ていても、人間にとってサンマはサンマである。

 

私の行う、東大の学生の試験は、口頭試問である。ある時、シャレコウベ(人の頭部の頭蓋骨)を二つ並べて、どのように見えるかたずねてみた。どんな言葉が返ってくるか期待していたら、しばらく考えた後、一方が大きいと答えた。これが東大の学生である。個性がない。今、我々は概念だけでものを見ており、感覚の世界があることを忘れ失ってしまおうとしている。概念が大きく膨らみ、感覚の世界の存在がなんとやせてしまったことか。

 

みなさん(薬剤師)は、薬というどんな場合でも同じように対応する「固定したもの」を、常に変化し、その時その時の要因の中で反応し違った結果をみせる「生き物」に使う。その状況を見誤らないで、薬という「もの」をうまく生かして欲しい。しかし、それは難問でしょう。(このような話であったと思う)

 

【恩師の思う感覚と概念】
この養老先生の話は、私に過去の二つの場面を思い出させた。

 

一般の人への講演を終えた後、次のような質問を受けた。
「薬をもらう時、一緒に一枚の紙をもらった。その紙には『これは痛み止めです。一時的に痛みをとってはくれるが、治すことはできない。』と書かれていました。これは本当ですか?本当ならば、飲むつもりはありません。」薬剤師としては、「それは本当です。」と答えるのが正解だと思っている。だが、痛みは皆、同じだろうか?「痛い」というのは概念であり、患者の尋ねる痛みは、それぞれの痛みの感覚である。「治すものではない」これは患者の誰に対しても同じように、医療人が伝える言葉ではないことに気づく。鎮痛剤(痛み止め)の添付文書※)には、「原因療法ではなく対症療法であることに注意せよ」と書いてある。この「対症療法である」という文字に、医療人は迷わされてはないだろうか。ならば、どんな言葉があるのだろう?患者と話している状況の中で気づいたり、見つけられるように思えてくる。「いや、痛みを治してくれますよ。」と言っても良い場面も当然あるだろう。情報の中の文字は、固定された概念であり、総てに当てはまるものではない。

 

(※ 医師、薬剤師向けに書かれた「医薬品の使い方や注意事項が書かれた文書)

 

あるがん末期の患者のところに、死の6日前頃であったろうか、懇意にしていた医師が夜遅くにわざわざ訪ねてくれた。聴診器を当て診察が終わった後、その医師は「よくなっていますよ。」の一言を患者に渡した。患者もまた「よくなっていますか。ありがとうございます。」と、ほとんどものも言えない状況の中で、かすかな微笑みで、はっきりとお礼を述べるのである。この先、何日も生命は無いと承知の上でのお互いの言葉である。医師の一言が、その患者の中にどんな変化をもたらしたのか。その一時を楽にさせたのか。あるいは、1日寿命を引き伸ばしたのか。安らかな眠りへの誘いであったろうか。それは判らない。この医師の一言は、その気持ちの上だけのことと理解するのは間違いだと思う。衰え消えようとする細胞に、神経刺激かホルモン分泌か何かが、間違いなく「一瞬の生への励み」を与えたと信じている。
養老先生の話から、「今、人は感覚をおき忘れ、無意識の内に無味な生活を過ごしているのではないか」と再度考えながら、過去のでき事に思いを馳せた。

 

思ったこと

私は、読み終わった後、「すごく、力強く伝わる文章」だと感じました。それもそのはずで、後ほど教えて頂きましたが、がん末期の患者は「恩師の御父様」だったそうです。

 

私も薬剤師として、「患者の状況をしっかり見極め、薬という『もの』を通じて、多くの方の人生を豊かにできるよう」日々努力を重ねていきたいと思います。



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