昭和31年~平成25年

2.医薬分業法実施から医薬分業率60%超の時代へ(苦難の20年)

 

■昭和31年4月
 医薬分業法は施行される。

 

 しかし、医薬分業は、昭和49年まで20年近く、ほとんど進展する様子は見えなかった。
 日本薬剤師会、日本薬政会は、医薬分業法を根拠として、国の政策として医薬分業を推進するよう求め続けた。

 

▶薬剤師国会議員の活躍

 

 その結果、次のように、医薬分業の進展に大きな影響を与える施策が、着々と実施されてゆくこととなりました。それらの政策を勝ち得た背景には、薬剤師の資格を有する国会議員たちの地道な政治活動があったのです。

 

医薬分業を進展させた10大改革

①昭和31年 医薬分業法施行 医師法、歯科医師法、薬事法の改正
②昭和35年 薬剤師法の制定 薬剤師の身分法の制定
③昭和49年 処方箋料の大幅引上げ 昭和44年、自民党「国民医療大網」に「地域強制医薬分業を、5年後に実施する」旨記載→処方せん料を6点から50点に
④昭和60年 地域医療計画 医療法改正、地域医療計画に薬局
⑤同 モデル分業 参議院決議で、医薬分業モデル事業実施、予算化
⑥平成4年 医療の担い手 医療法改正、薬剤師は医療の担い手と明記
⑦平成9年 国立病院の院外処方せんの発行促進 モデル病院、70%発行を目指す
⑧平成12年 介護保険への参加 在宅医療から介護へ
⑨平成14年 薬学教育6年制 40年来の夢、実現
⑩平成18年 医療提供施設 医療法改正で、薬局が医療提供施設

 

▶主な事項の実現までの経過

 

①診療報酬・調剤報酬体系と身分法「薬剤師法」制定
 昭和34年~36年にかけて、健康保険法や国民健康保険法が改正されて、「国民皆保険体制」が整備されました。健保法、国保法によって、保健医療機関、保険医とともに、「保険薬局」、「保険薬剤師」の制度が設けられました。

 

 また、健保法、国保法に基づいて、新しい診療報酬体系が作られます。新しい診療報酬体系により、医科診療点数表、歯科診療報酬点数表、そして調剤報酬点数表が定められました。骨抜きとの厳しい批判はあったが、「医薬分業法」があったからこそ、医薬分業を前提とした新診療報酬体系が定められたのです。

 

 その一方、日本薬政会は、薬剤師の身分法である新しい「薬剤師法」の制定をするよう政府に要請します。それまで薬剤師の調剤等の業務に関する規定は薬事法によって定められていましたが、この要求に対し、厚生省は局長通によって措置するとの意向を示しました。このため、日本薬政会は、「薬事法改正促進全国薬剤師大会」を開催し、全国から再び3,000名を超える薬剤師が参加したのです。大会終了後、参加者を40班にわけ、政府や国会議員に対する陳情作戦を展開しました。時の総理、岸総理大臣を始め、自民党幹事長ら党幹部、野党議員など225人に陳情を行いました。

 

 昭和35年、旧薬事法(昭和23年制定)が改正され、身分法である現行「薬剤師法」及び現行薬事法が制定されました。このようにして、今日の医薬分業の法的基盤となる、法令制度が完成しました。

 

②処方箋交付料大幅引上げ(医薬分業元年)
 日本薬政会は、当時の政権与党自由民主党に対し、医薬分業推進のための政策を要請し続けました。昭和44年、自由民主党は、医薬保険制度改革を目指す「国民医療大網」において、「地域を特定した強制医薬分業推進を5年後に実施する」との案をまとめました。しかし、医療保険制度改革を目的とした健康保険法改正案は、国会で審議未了のまま廃案となったのです。

 

 しかし、その動きの中で、当時の日本医師会武見太郎会長と日本薬剤師会石館守三会長が「医薬分業の推進」の合意に至りました。これを受けて、厚生省は、昭和49年の2度の医療費改定において、医師の処方箋交付料を60円から、一気に500円に引き上げました。これを機として、医療機関の院外処方箋の発行が進み始めることとなったのです。

 

③医療法と薬局、薬剤師
 平成4年、医療法第二次改正が行われました。この改正において、「医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし…」で始まる「医療の基本理念」の条文が設けられることとなりました。

 

 しかし、この条文では、「医療の担い手」として、「医師、歯科医師、その他の医療の担い手」とされ、「薬剤師」は、「その他の医療の担い手」としてひと括りされていました。この政府案に対し、当時、自由民主党に在籍していた石井道子参議院議員、社会党の網岡雄衆議院議員が、薬剤師議員として党派を超えて協力、「医師、歯科医師、薬剤師…」とする政府案の修正を勝ち取ったのです。

 

 それから14年後の平成18年、藤井基之参議院議員、松本純衆議院議員の活動を得て、医療法第5次改正において薬局は、「医療提供施設」としての位置づけがなされました。

 

医療法
第1条の2 医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない。(平成4年改正)

 

2 医療は、国民自らの健康の保持増進のための努力を基礎として、医療を受ける者の意向を十分に尊重し、病院、診療所、介護老人保健施設、調剤を実施する薬局その他の医療を提供する施設(以下、「医療提供施設」という。)、医療を受ける者の居宅等において、医療提供施設の機能(以下「医療機能」という。)に応じ効率的に、かつ、福祉サービスその他の関連するサービスの有機的な連帯を図りつつ提供されなければならない。(平成18年改正)

 

④薬学教育6年制の実現
 「医療薬学教育の推進」を目的とする薬剤師教育の強化は、医薬分業推進のための重要な要因でした。昭和42年、日本薬剤師会は、薬学教育協議会及び薬剤師国家試験審議会に対し、「薬学教育の改善について」要望書を提出、以後、40年にわたる6年制推進運動が始まる。

 

 平成6年、厚生省日本薬剤師会、日本病院薬剤師会、薬学6年制に消極的であった文部省も加わり「薬剤師養成問題懇談会」(4者懇)が設置され、平成11年には国公立薬学部長会議、日本私立薬科大学協会も加わり(6者懇)、薬学教育6年制について審議が行われた。

 

 平成14年、自由民主党薬剤師問題議員懇談会は、日本薬剤師連盟の要請を受けて「薬剤師教育検討チーム」(座長 持永和見衆議院議員)を設置、平成15年に「6年制の一貫教育が必要」との結論をまとめ、厚生労働、文部科学両省に6年制促進を求めた。

 

 同年、厚生労働省の「薬剤師問題検討会」、文部科学省の「薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議」がそれぞれ6年制教育が必要である旨報告をまとめた。

 

 平成16年3月、政府は、学校教育法、薬剤師会の改正二法案を国会に提出。同年5月、6月、改正二法案は、衆参両院とも、全会一致で可決、成立しました。

 

 このように、日本薬剤師連盟は、日本薬剤師会の目的を達成するために、数々の政策の実現を国政に求め、その実現に向けて政治活動を展開してきました。今日の“医薬分業60%時代は”先人薬剤師の努力と活動によって実現したのです。

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